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アメリカ大学院で4セメスター終えてーその3

  テキサス州立大学で支援教育(Special Education)と識字教育(Reading Education)を学んで驚くことの二つ目は「数ある教授法がResearch-based、 Evience-based (科学的根拠)のあるものを使うことが法律で定められていること」です。特に支援教育に関しては科学的根拠がある教授法を使うことが主流であり、その程度が普通教育よりも高いという事実。

  大学院で勉強する中で様々な教授法を学びました。例えばLD(学習障害)を持つ生徒達にreading を教えるのに適した教授法の例としては PALS(Peer Assisted Learning Stratigies)がありますが、この教授法が科学的根拠があるのかということが、ウェブサイトWhat Works Clearnighouse (WWC) http://ies.ed.gov/ncee/wwc/FWW  で調べることが出来ます。

WWCでのPALSの評価はこちらです。http://ies.ed.gov/ncee/wwc/EvidenceSnapshot/364

ここで示されている事を挙げると、Alphabetic に関しては+14の評価(-50 ~ +50)が認められています。

    また数ある教授法について教員が学べるウェブサイトが沢山あります。その内容が驚くほど洗練されていてそこで教材をダウンロードできたりもできます。一つの例を紹介します。支援教育ではベスト1か2に入るVanderbilt Universityが運営しているIris Centerです。Iris Center内でPALSについてのwebpageが

http://iris.peabody.vanderbilt.edu/module/pals26/ です。PALSについて知りたい方は是非閲覧してみてください。

  私はこの事実を知るなかで自分が携わってきた17年間の教員生活を振り返ります。いろんな思いでいっぱいになり、そしていたたまれなくなります—思いの多くは”後悔” ”罪悪感” ”反省”が占めるなか、そこから”希望”が生まれてきます。日本の教員はとても熱心ですー全員とは当然言えないくとも、半数以上の教員は生徒の成長の為に日々身を粉にして働いています。他の先進国と比べると教育にお金をかけている比率が低い国であるにも関わらず、一定の成果を世界的にも残してこれているのは日本の教員の熱心さが大きく寄与していると私は思います。ですが私達教員は、生徒たちが今現在、またこれから先を生きていく上で本当に必要な力につけるべく授業づくりをしているとは決して言えません。更に言えば、日本の教育は”教員主体”であり、”目先の目標中心”になっているのではないでしょうか。”教員主体”だから多くの教員が慣れ親しんだ教授法とは違うものを受け入れることに抵抗し、その教授法にどのような効果があって、何の力をつけているのかを振り返る必要を感じない。”目先の目標中心”だから高校3年生の暗記中心の授業を疑問を感じずに進め、「この参考書暗記出来たら~大学合格はかたい」と伝え、断片的な英語の知識の獲得が英語学習のゴールだと生徒達に思わせてしまっている。この傾向は日本に限られたものではなく、アメリカにもあるようです、少なからず。ではアメリカと日本の違いは一体何なのでしょう。それは生徒間に存在する多様性の差だと思います。多様性が誰の目にも明らかであり、多様性を前提とした授業作りが求められるアメリカと、多様性は隠されたものであるが故、多様性は考慮しない、もしくは多様性を否定する授業作りになっている日本との差です。日本の教育がアメリカの教育から学べることの一つとして、”多様性を前提とした授業づくり”ではないかと私は思います。程度の差こそあれ日本にも生徒間に多様性は存在するからです。そしてその度合いはグローバル化が進む中で高くなっていくことは明らかです。多様性を前提とした授業づくりにシフトすると、これまでの”教員主体”の授業づくりは出来なくなっていくはずです。少なくとも生徒のニーズにもっと敏感に授業を作っていくことが求められるはずです。そして自らの教授法の効果を振り返り、改善し、何か新しい教授法を探し求めることが必要となるはずなのです。

   長々と書いてしまいました。日本の教育がアメリカの教育に劣っている故、そこから多くを学ぶべきだと私は伝えたいわけでは決してありません。日本の教育が更に良いものになるために、アメリカから学べることがあるのだということを伝えたいのです。その一つが”多様性を前提とした授業作り”だと私は思います。日本の教育はこれまで生徒間にある多様性を顧みないでも進めてこられました。いや一見したところの生徒間の”均一性”に甘えて、安住して授業を作ってきたと言えるのではないでしょうか。だからこそ一方的知識伝授型の授業が今でも主流であり続けているのです。この形態の授業では生徒達がこの先生きていく世界で必要な力をつけていないことを教員は自覚するべきです。それを自覚して自ら改革に挑んでいる教員は存在します。自主的に研修等に参加されている先生方です。ですがその割合を教員間で大きくするためには、教員個人だけの努力では限界があります。教員の変革には中からの改革しようとする勢力と、文科省なども外からの改革の勢力が必要です。そして今がまさにその時であることを強く感じます。