アメリカの大学院で4セメスター学んで驚くこと(その5)

テキサス州立大学院で支援教育(Special Education)と識字教育(Reading Education)を学んで驚くことの4つ目は「suspension (停学)の数がやたら多い」ということです。この数は驚異であると同時に、「そりゃ、そうなるはずだよな」と納得してしまえることでもあります。教員は生徒の問題行動に対して太刀打ちするすべも、また勇気もなくて仕方ないのだと私は思います。その理由は「銃」です。「銃」が社会に出回っていることで、生徒の問題行動に対し教員はどうしても弱腰にならざるを得ないのだと想像します。 もし自分がアメリカで教員をしていたとしたら暴れている生徒に対峙できますか?その生徒が銃を持っている可能性はこの国ではゼロでは決してないのです。そして成長過程にある生徒たちは正直何をしてかすか分からないのです。私にはできません――少なくとも日本で教員をしていた時のように、体当たりで指導することなんてできません。銃を持っているかしれないという恐れの前では、教員として指導しなくてはという使命感もかき消されてしまうと思います。教員達が恐れていた悪夢が現実となったのが1999年に起こった「コロンバイン高校銃撃事件」です。その後教育機関での銃撃事件が起こり続けているこの国では、教員が生徒の問題行動に対して対峙せず、深刻ではない問題行動が起こった時にでも、その指導を問題行動を専門に扱うISS (下に説明)に委ねるという流れができているのです。

 

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http://www.motherjones.com/politics/2015/10/columbine-effect-mass-shootings-copycat-data から引用。コロンバイン効果としてその後74件のcopycat(模倣犯罪)が報告されている

 

この先の内容理解のための背景知識を紹介します。アメリカにはsuspensionには何種類かあります。軽いものからIn-School Suspension (ISS):校内に設置され1時間単位から生徒を収容する部屋。ISSには複数の専門の教員が常駐し、問題行動発生時にはその場所に駆けつけ、その後の指導に携わる。 Out-School Suspension (OSS):校外に設置された施設で2日まで生徒を収容できる。Disciplinary Alternative Education Program (DAEP):校外に設置され3日以上のSuspension中に収容する施設。Suspension(停学)の上に Expulsion (放校)があり、その処分を受けた生徒はまた別の施設があります。 またコロンバイン事件以降から中学校・高校には警察官が常駐している。

 

具体的な数字を挙げます。これらはテキサス州内の中学・高校での停学・放校の数字とその学問への影響を研究した報告書“Breaking Schools’ Rules: A Statewide Study of How school Discipline Relates to Students’ Success and Juvenile Justice Involvement (2011)”に載っている内容の一部です。

  • 公立の中学・高校生の54%の生徒がISSでの停学、31%の生徒がOSSでの停学を経験したことがある。
  • 停学・放校を伴う案件のたった3%のみが州が停学や放校を義務づけるものであった――残りの97%は学校判断による停学・放校である。

 

この数字すごくないですか?公立の中高生の半分以上が、問題行動を理由に停学(1時間単位も含む)を経験しているのです。二つからだけでもわかるように、この報告書は学校の停学・放校処分の乱用を指摘しています。停学は生徒たちの成績に多大な影響を及ぼします。なぜならば停学中にその生徒のための学業支援などは義務づけされていないため、停学が重なるほどその生徒は勉強についていけなくなるのです。もともと停学になる多くの理由が不適切な言語使用、不服従などのようなマイナーな案件であり、それらの案件の理由は授業についていけないことが大きな理由なのです。つまり授業についていけない生徒たちが、授業中に不適切な行動(暴れる、不服従など)をとり、教室を追い出されてISSでの指導を受ける。ISSでは学業指導がないことから、その生徒の勉学の遅れがさらに進むという負のサイクルが生まれているのです。

また、同報告書は人種間の偏りも指摘しています。

  • 83%の黒人男子生徒、73%のヒスパニック男子、59%白人男子生徒が少なくとも一度の停学を経験している。

 

アメリカの学校文化は白人文化を根底にして形成され、生徒に求められる姿勢・態度や校則もそれに則っていると言えます。それから外れる言動・行動が停学の理由になっていることも多々あると思われます。そして停学を受ければ受けるほどその生徒は教育を受ける機会を奪われているのです。

 

このことから日本の教育に還元できるものは何でしょうか。幸運なことに日本は銃社会ではありませんし、日本がこの先銃社会になることもあまり考えられないので日本の教育とはずいぶんかけ離れているとも感じます。しかし、このことから、日本の教育を振り返ることはできます。私はこのことを学んだ時、「日本の教員は本当にいろんなことを抱えすぎだな」と感じました。教員はやはり「教科指導が命」です。しかし同時に、「生徒指導が盤石であってはじめて教科指導が成り立つ」ことも多くの教員が知り得るところでしょう。アメリカのISSの様に、問題行動を専門で扱える教員団があって、彼らと、教科担当や担任教諭との連係プレイができれば理想だと思います。現在の日本では、教員達が教科指導も生徒指導もまた部活動まで担当しているという・・・・きっとアメリカの教員にすれば「あり得ない」状況にあると思われます。日本の教員の「教育への情熱」に甘えすぎの構造だと言わざるを得ません。日本の教員がもっと教科指導に専心できる物理的環境づくりを本気で考えないと、いつまでも停滞し続ける教育しか提供できない学校でありつづけるでしょう。