「英語教育」2017年3月号掲載                                              

 

 英語教育改革の波を乗り越えるために 現場教員が考える弊害と解決策

 元大阪府立旭高等学校教諭 坂本優美子

 

主に関東の私立大学で導入され始めている4技能入試が英語教育の変革を引き起こそうとしている。しかしながらこの改革の波は私達の日々の授業にいか程届いているのだろう。改革は必ず起こさなければならないと筆者は考える。なぜなら今の英語教育では生徒達に社会で生きていく上で必要な力をつけているとは言えないからである。彼らに必要な力とはこれまでの教育の主の目的であった知識の蓄積にとどまらず、それらを客観的に評価し、自らの意見やそこから派生する新しい考えを構築する力であり、またそれを相手に効果的に伝え納得させ、変化を生み出す力である。そして改革成功の鍵は私達教員の改革への主体的参加にあると筆者は信じる。迎える改革の波に飲み込まれるのではなく、逃げるのでもなく、それを自らの成長のきっかけと捉えそこに自ら飛び込み、必ずや乗り越えるためには何が弊害でその解決には何が必要であるかを私達それぞれが真剣に考え、声に出し、それらの意見の集約が改革を成功に導くことを願いこの文章を記す。今論文では筆者が考える弊害とその解決策を述べるが、紙面の都合から後者を中心に論じたい。

 

弊害1教科以外の異常な忙しさ

校務分掌、部活動指導、多岐にわたる担任業務。この上に教科指導となると毎日が“自転車操業”で変革するのに必要な自己研鑽の余裕は全くない。教員の業務の根幹は教科指導であるにもかかわらず、現実的には優先順位の下位に置かざるを得ない状況にある。2013年にOECD(経済協力開発機構)は参加国30ヵ国中、日本の教員が最も多忙であると報告している(53.9h/週、平均38.3h/週)。

弊害2:知識・読解偏重入試に対応する責務

受け持つ生徒達が入試において高得点を取るべく指導することは私達の重要な責務の一つである。しかしその責務を英語教育の目的と捉えてしまうと、英語教育はただの限定的知識と技術の習得の場と化してしまう。

弊害3:英語教育=混合教科(座学+実技)という考えの欠如から派生する様々な弊害

ある言語が使えることはその言語で多くのタスクができることを意味し、タスク完遂にはその為の知識と技能が必要である。生徒に膨大な知識の習得を求める一方でそれらを自らの技能として使えるようになる為の複数回にわたる実際の練習が絶対的に必要なのである。 英語科は座学と実技の両側面を持つ混合教科であり、そうとらえた英語教育には様々なレベルでの変革を要する。そしてその具体的な教授法や評価の方法を私達教員は学ぶ必要がある。

弊害4:教員の「変化への恐れ」

  私達教員それぞれには長年試行錯誤を繰り返す中で確立してきた教授法があり、それらは私達の教員としてのアイデンティティーを支えている。それらを大きく変えなければならないことは私達にとって大きな挑戦であり脅威である。しかしながら私達が何の為に英語教育に携わっているのかを考えるとき、その挑戦に挑むことがその目的達成への正しい道であると確信せざるを得ないのではなかろうか。

 

4.英語教育改革を実現化する為の具体策

  英語教育改革を阻んできた4つの弊害を提示した。これらを乗り越えるための具体策5つを示す。

具体策1:4技能測定する入試改革

英語教育改革を実現させる為の強力な具体策のうちの一つは既に整いつつある 。冒頭で触れた4技能入試導入である。入試に4技能が入ることで学校英語教育が今の形態からの変革を求められるというpositive washback (Anderson & Wall, 1993; Bailey, 1996)が起こると予想される。しかしながらこの4技能入試導入が英語教育改革の最重要のagent(担い手)では決してないことを私達は自覚する必要がある。つまり4技能入試が自動的に現在の英語教育の改革を起こすわけではないのである――それは、最大のtrigger(きっかけ)ではあっても、最大のagentではない。私達教員が最大のagentであることを忘れてはいけない。

具体策2:教育のワークシェアリング(学校・教員・職員・家庭・地域・国)

前述のように現在の学校教育は何もかもを抱え込みすぎている。例えば朝起きられない生徒にモーニングコールをかけるなど生徒達の基本的生活習慣にもかかわり、奨学金申込みや外部試験の申込など本来保護者や生徒本人が担うべきものまでも学校教育が担い出席管理、膨大な書類作成など教員でなくても担える仕事もほぼ全てを教員がこなしている現状がある。この日本の教員が抱えている異常な状況は、前述のOECDの報告でも明らかにされている。教員は教育(教科指導・人格形成)に専念するべきであり、国民や国はそれを実現しうる環境を保障すべきなのである。私達の未来の宝である子供たちの教育の為に国、地方、学校、家庭が協力し、分業することが今こそ必要なのだ。家庭が本来するべきことは家庭に返し、教育以外の仕事で学校が担うべきと国民が判断するものには、教員や事務職員を増やし、地域内の人材からボランティアを募る等で教育業のワークシェアリングをすることが必要である。OECDは参加国30か国の国や地方団体の教育費への支出率をGDP比で報告しており、日本は3.8% (平均5.8%)と参加国内で最低であるという結果が出ている。教育に今より多くの資材を費やし、今より多くの人材、団体が教育に関わることが求められる。

具体策3:教員の研修機会の増加、それを保証するための具体策2の整備

前述のように4技能を生徒達に習得させる英語教育を実現するには、その授業者である教員がその具体的な方法を習得することが必要不可欠である。そしてその教授法はこれまでのものとは大きく異なるが故、教員が受ける研修は複数回に渡りしかも半年~1年かけるものでなければならないと判断する。全教員がその研修同時に受けることは現実的ではないことから、各学校の1~2名が時間的保障を受けたうえで研修に参加する、そして学んだことを還元するために校内研修を複数回行うという案であれば現実的ではなかろうか(現在文科省が実施しているカスケード研修もこれにあたる)。そしてこの研修を3年行えば1校3~6人は研修を受けた計算になり、教員の半数近くは研修を受けることが可能である。これを実現するためには各学校で講師時間を増やす等の財源が必要であることは言うまでもないが、この研修は改革を成功させるためには絶対に必要である。そして具体策2でも触れたように、教員が研修に参加し得る時間的・物理的支援のために教育のワークシェアリングを実現する必要がある。

具体策4:英語教員を目指した理由に後押しされる「変革する勇気」

これまでの具体策は物理的変革であったが次に述べる具体策は教員の内的変革であり、これが最も重要であると考える。それは「これまでのTeaching Styleを変えてもよいと思える勇気」であり、それは「生徒への愛情」、「生徒達に英語を学び使えることの喜びを伝えたいと思う情熱」、「より良い授業のために学びたいと思う向学心」に後押しされていると考える。これらの多くは私達が英語教員になった理由と重なるのではなかろうか。私達の内的変革、いや、かつて抱いていた思いの復活または再認識と言うべきかもしれない。私達の誰もが経験の浅い教員である頃はそれらを抱き、教員としての行動の拠り所としてはいなかっただろうか。しかしながらその思いを抱き続け且つその為に行動することを、日々の業務に忙殺される中で忘れてしまってはいないだろうか。また教員としての実績を積むなかで自らの教授法を客観視する必要性を感じなくなっている私達になってはいないだろうか。

具体策5:学校外に英語を使う環境の創出

語学習得には知識と技能の習得が必要であり、技能の習得は実際にそれを使ってみることでしか上達できない。日本はESLと違いEFL環境であることから語学を使う環境を作り出すことが有益ではなかろうか。そこでその作り出された環境が参加する誰にとっても有益になるものはないかと思案した。「学校教育、観光業界、語学学校、外食産業を巻き込んでの英語村」を提案する。

「学校教育、観光業界、語学学校、外食産業を巻き込んでの英語村」で出来ることの案

案1:観光業インターンシップ

例えば大阪府であるならば、世界遺産や観光地がある京都や奈良、和歌山県が近いのでその観光案内業を体験できるインターンシップを生徒に体験させる。生徒は事前に数回観光地の説明等を英語でする研修を受けた後に、実際に外国人観光客を現地に案内するツアーガイドにアシスタントとして参加する。顧客となる観光客には低料金で利用できるようにすることで利益の還元をする。

案2:All―Englishのレストラン

日本食であるならば、その食べ方、伝統についても英語で説明できるよう事前に研修を受けた後に実際にレストランにて接客を体験する。顧客となる観光客も低料金で利用できるようにする。

案3:大学教員による出前授業

日本の大学に在籍する教授に英語による講義を依頼し、授業内容は英語村運営団体がある程度指定することで、その方向性、質を保つ。

案4:日本が誇る伝統や技術の説明、体験、通訳体験

外国人が興味を持つ日本の技術(伝統工芸、工業技術など)、日本の伝統文化・サブカルチャーの専門家を招聘し、外国人が学び、実際体験できる場を提供。プロの通訳に入っていただき日本の生徒も通訳業を体験し、自国の文化を学ぶ機会を提供する。

 

5.全国の同僚と政府と社会に訴えたいこと

自分の中にある夢物語を記したという自覚は十分にある。しかし筆者のような一般の教員達が自らの苦悩とそこから生まれる夢物語を声に出し、共有し、変革の建設的主体者となることを夢想する。改革成功の鍵を握るのは、自分達の英語教育が成功しているとは言えないことを十分に承知し、それ故苦悩し、模索し、自分の場所で小さな改革を試みる悩める私達一般教員達の改革への参加であると断言したい。私達が本務である教科指導に専念することが許され研修が受けることができれば、その小さな改革は必ず大きな改革を生み出す。だからこそ日本の社会と政府に訴えたい「教育という偉業を私達皆で力を合わせて成し遂げましょう」と。私達の宝である子供たちが英語の扉から多くのことを学び、学んだ知識や得た技能を駆使して世界の色々な場所で豊かな経験を重ね、自らと周りの世界をも幸せにできる個人に成長できるために。そしてその手助けを私達皆で支えるために。迎える英語教育改革の大波を皆で乗り越え、皆がそこから飛躍できるように。

参考文献

Anderson, J. C., & Wall, D. (1993). Does washback exist? Applied Linguistics, 14, 115-129.

Bailey, K. M. (1996). Working for washback: A review of the washback concept in language testing. Language Testing, 13, 257-279.

OECD. (2013). Education at a glance. http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/index01.htm

OECD TALIS. (2014) 「2013年調査結果の要約」 http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/

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